| Year |
AGE |
EVENTS |
| 1855 |
0 |
ニューヨーク州マセドンロックに生まれる。父親のジョージは医師だった。 |
| 1867 |
12 |
小学校卒業後、ミシガン州南部に移住。"Dry Goods Shop"で今で言う契約社員の身分で働きはじめる。 |
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苗字の"Carhart"に"t"を追加し、"Carhartt"に変更。この頃から商才を発揮し、ミシガン州当方地区全域の販売を任される。荷馬車で廻るうちにオーバーオールの需要の高さに着目。会社のロフトを借り、2台のミシンでデニム地オーバーオールの製作に乗り出す。 |
| 1889 |
34 |
販売で得た資金を元手にミシガン州デトロイトに"Hamilton Carhartt Company"を設立。ワークウエアの本格的製造に乗り出す。創業当時の従業員は5名、ミシンは4台だった。生産していたのはデニム地またはダック地のオーバーオール。企業理念は「誰もが望む素晴らしいスタンダード(プロダクト)を築く」 |
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営業や旅行で街から街へ鉄道で移動する際に鉄道工員の作業風景を目にし、彼らに最適なオーバーオールやカバーオール製造に乗り出し、結果大きな支持を得ることに成功した。 |
| 1910 |
55
(21) |
国内の6箇所の他、カナダ工場、イギリス工場を増設。社名を"Hamilton Carhartt Cotton Mills"に変更する。 |
| 1923 |
68
(14) |
ニューヨーク・ウォール街の株式市場の大暴落を端に発し資本主義国家全体へ波及していった史上最大規模の世界恐慌、大恐慌が起こる。 |
| 1930 |
75
(21) |
大恐慌の煽りをもろに受け、米国内の工場は3つにまで縮小。Caharttにとって最も苦しい年となる。 |
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Hamiltonとその息子”Wylie”が"Back to the land"(=田舎に帰ろう)キャンペーンを開始。ケンタッキー州製造営業所を大々的に宣伝した。(これは今も現存している) |
| 1937 |
82
(28) |
Hamilton Carhartt逝去。 |
| 1945 |
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第二次世界大戦終結 |
| 1960s |
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"HEADLIGHT"ブランドを擁する"Lanard Carter & Company "と"William
Muir Finck Comapany"を買収。この時期のタグには"Carhartt""HEADLIGHT""FINCK"のトリプルネームが入っていた。 |
| 1889 |
(100) |
カーハート設立100周年。100周年記念モデルが登場。 |
| 現在 |
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日本での商標はA&Tインターナショナルが所有。
米国では今でも家族経営が行われ、従業員は3000人を超え、15箇所の縫製工場、2箇所の物流センター、2箇所の裁断工場を有する。
欧州カーハートは150名の従業員がおり、ドイツとオランダに営業所、ポーランドに縫製工場がある。 |