| Year |
AGE |
EVENTS |
| 1849 |
0 |
北米東北部バーモント州ウエストランドルフでH.D.Leeが生を受ける。 |
| 1853 |
4 |
H,D.Leeの父が他界。孤児院に引き取られる。以降6年間を孤児院の他8名共に暮らす。 |
| 1860 |
11 |
11歳で孤児院を出て$1.5を元手に生家近くのバーモント州タンブリッジのオールデン私立学校に入学。礼儀作法などの基礎教育を受ける。 |
| 1862 |
13 |
教育課程終了後、学校理事に月額$75で学内インストラクターを誘われるも母と兄弟の手助けを優先するため断る。
しばし家庭生活が始まるも長続きはせずオハイオ州ガリオンに移動。
ホテル事務員として働き始める。 |
| 1865 |
16 |
仕事で得た$2,000とC.L..Crimという地元銀行から$3,000の融資を受け、周辺地域の不動産を購入。 |
| 1875 |
26 |
不動産業10年で$20,000もの利益を上げ、実業家としての頭角が現れ始める。
更にC.L.Crimから$50,000の融資を受けてCentral Oil社を買収する。 |
| 1886 |
37 |
過労により結核を患い、経営権の半分を"John Davidson Rockefeller"の" Standard
Oil Company"に譲る。但し経営は彼自身が行う。 |
| 1888 |
39 |
病気の回復が見込めず、残りの権利もRockefellerに譲渡。
医者の薦めからカンサス州サリナに移動。
但し中西部に向かう理由はもう一つあり、当時中西部は急成長している地域で
実業家である彼がそのビジネスチャンスを見逃すことはなかった。 |
| 1889 |
40
(0) |
サンタフェ エルム通りにH.D.Lee Mercantile Companyを設立する。
最初の取扱商品は香辛料やコーヒーなどと言った食料品と雑貨類であった。 |
|
|
自社ラベルの付いたパッケージングを考案。缶詰などは小売店への卸しを行い、卸売業も始める。取り扱いを文房具や学用品、小間物(糸や針)やオーバーオールに拡充。
現代の総合スーパーと同じ業態になる。 |
| 1898 |
49
(1) |
"H.D.Lee Mills(製粉)"" H.D.Lee Hardware""Kansas
Ice manufacture(製氷)"を設立。
後に"Harvester Building Company""the Farmer’s National Bank"を設立。
食品部門は北米中西部を制覇するほどの大卸売業者に成長。 |
| 1903 |
54
(6) |
大火災発生により$125,000の工場と$450,000の在庫を焼失。
事態が収集すると共にビルを2棟建設、事業の再建をはかる。
卸売業の他、仲介業者としての地位も確立していく。 |
| 1911 |
62
(14) |
作業用オーバーオールをNorthon Departmentから卸す仲介をしていたが、
その仕入れ元である東部州(恐らくデトロイトやニューヨークのメーカーと思われる)
にある製造業者からの納期が遅れ、カンザス州サリナに第一工場を設立した。
最初の製品は8ozデニムのビブ・オーバーオール。後にジャケット、パンツを手がける。 |
| 1913 |
64
(16) |
リーユニオンオール誕生。車の整備やタイヤを交換する時に制服が汚れないように上に着る作業着と言う発想でカバーオールとダンガリーズを縫い合わせて、着脱に便利なように前ボタンを付けた。 |
| 1914 |
65
(17) |
ユニオンオールがLeonard wood "Brigadier General"の目に留まり、第一次大戦中の陸軍歩兵部隊の作業着に正式採用される。(レオナルド自身の最終階級はMajor
General)
(採用期間は大戦中の1914〜1918) |
| 1915 |
66
(18) |
カンザス州カンザスシティにワークウエア製造第二工場を建設。 |
| 1916 |
67
(19) |
ミズーリ州に第三工場を建設。ユニオンオール製造に特化した工場となる。 |
| 1917 |
68
(20) |
"Saturday Evening post"にワークウエアカンパニーとして初めて1ページ広告を掲載。 |
|
|
インディアナ州サウスベントに第四工場を設立。サリナの第一工場とカンザスシティの第二工場のサポートに回る。その後も1920年代にロサンゼルスとサンフランシスコに物流倉庫を建設。ニュージャージー州トレントンに大規模な事務所と工場を建設。 |
| 1920 |
71
(23) |
自社の小型化したワークウエアを着せたキャラクタードールを発表。 |
| 1921 |
72
(24) |
カバーオールジャケット(通称ロコジャケット)を発表。
レイルロードワーカーが実際にテストをしてその結果を踏まえて改良を加え完成させた。 |
| 1922 |
73
(25) |
キャラクタードールが紙面に登場。実物展示はミネソタ州ミネポリスにある"Deiton Company Store"同年キャラクタードールの名前を一般公募し、"Buddy
Lee"に決定した。"Buddy Lee"は1ダース$13.50でディーラーに販売。販促用に卸していたにも関わらず、一般消費者にも人気がつき、その後1体$2.50で販売されるようになる。 |
| 1924 |
75
(27) |
13ozデニムを使ったカウボーイパンツを発表。後のリーライダースの原型となる。
同時期にロガージーンズ、セーラーダンガリーズを発表する。
サドルを傷つけないように考案されたスレッドリベットを採用したのもこの年。 |
| 1925 |
76
(28) |
11.5oz程度の重さでありながら13ozの強度を誇る"Jelt denim"ジェルトデニムを開発。 |
| 1926 |
77
(29) |
ジーンズで世界最初のジッパーフライを採用。ジーンズのジッパー使いはリーから始まった。
この他にも労働着にはスライドファスナーを使用。
U字型クロッチをデザインやテーラードサイズの採用なども同時期に行われる。
テーラードサイズの採用は画一的なサイジングだったワークウエアには
画期的な提案であらゆる体型をカバーするフィットを実現した。
UNION-ALLSもファスナー採用。 |
| 1927 |
78
(30) |
8ozデニムを使用したジッパー仕様のビブオーバーオールを発表。一般公募により「ウィジット」と名づけられる。またヒッコリーストライプ・ヘリンボーンツイルなど新しい素材をワークウエアに取り入れた。 |
| 1928 |
79
(31) |
H.D.Lee逝去。当時彼の会社で働いていた人数は5,000人。サリナだけでもその資産価値は$120,000とも言われた。後任はC.A.Reynolds. |
| 1929 |
(32) |
ジッパーの付いた最初のデニムジャケット91Bを発表。 |
| 1931 |
(33) |
タイトでウエスタンスタイルの101スリムジャケットを発表。101Jとして知られるジャケットで後にライダーのラベルが付けられる。 |
|
|
"RODEO COWBOY ASSOCIATION"を後援。ロデオチャンプからリーライダース改良のヒントを得る。 |
| 1933 |
(35) |
31年発表のスリムジャケットのウィンターバーションである「ストームライダー」を発表。 |
| 1934 |
(36) |
出版社"Dartnel Corp,"読者アンケートで「最も勢いのある10企業」の中の一つに選ばれる。 |
| 1936 |
(38) |
ヘアオンハイドラベル誕生。毛の付いたままの牛革にLeeの焼印を押した。西部の匂いがぷんぷんするワイルドなラベル。リーライダースの顔として今に引き継がれる。40年代にはなめした革が使われるが当時はまだ防縮加工が施されてなかったのでトゥウィッチラベル(=引き攣る)と呼ばれていた。 |
|
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第二次大戦中、U.S.Armyに25,000着の作業着を供給。 |
| 1944 |
(46) |
現在のホースマウスステッチとして知られるレイジーSステッチを発表。リーカウボーイガーメントにインサイドネームが付けられる。 |
| 1946 |
(48) |
リーライダースの人気が西部で急上昇。業界で初めて東部に西部のロマンを伝えようとライフ誌に4色・全ページ広告を掲載。リーライダースがカウボーイファッションの流行をリードしたことを物語っている。 |
| 1948 |
(50) |
サンフランシスコのワークウエアメーカー"Elosser-Heynemann Company Inc"を買収。衣類製造部門を更に拡充。ハイマン社は"CAN'T
BUST'EM""BOSS OF THE ROAD""FRISCO JEENS""CAMPUS
CODE""CACTUS CASUALS""COPPER KING"を有しており、それらはLeeブランドの中で吸収・廃止となった。
"LIFE"誌に西部ウエスタンスタイルを伝える広告を1ページ掲載。 |
| 1949 |
(51) |
レディリーライダースを発表 |
| 1950 |
(52) |
食品部門をシカゴ食品メーカーに$3,000,000で売却。ウエア製造に特化する戦略をとる。 |
| 1952 |
(54) |
最も耐久性に優れた綾織布であるチェトパツイルを開発。リー独自の画期的なファブリックであり、真似されることがあっても複製されることはなかった。チェトパツイルとはワークチノーズとしてワーカーズに人気を博した。
同時期テキサス州のマスコットキャラ”BIG TEX”の衣装協力をする。 |
| 1954 |
(56) |
ワークとウエスタンウエアの主要ブランドになったリーはレジャーウエア市場の将来性を見出し、リージャーズを発表。カジュアルマーケットへの先鞭を付ける。101Zを発表。 |
| 1959 |
(61) |
ウエスターナーの誕生 |
| 1961 |
(63) |
ウエスターナーの他、センタークリーズとテーパードレッグを導入。カジュアルで都会的なテイストがアイビーリーガーの間で人気を博す |
| 1963 |
(65) |
リーヨーロッパ設立 |
| 1964 |
(66) |
アメリカ合衆国の輸出拡大プログラムに貢献したということで大統領E賞を受賞する。 |
| 1970 |
(72) |
大統領E賞の2度目の受賞 |
| 1972 |
(74) |
(株)堀越商会が日本国内での販売を開始する。 |
| 1976 |
(76) |
アメリカ建国200年祭と共にライダースをはじめとする多くの名品が日本に続々と紹介される。ブーツカットジーンズはカウボーイブーツの流行をリードした。 |
| 1983 |
(83) |
堀越商会と米ペンシルベニア州VF CORPORATIONの100%出資によるH.D.Lee Asia LTDとの合弁事業リー・ジャパン株式会社が設立され、国内で本格的展開が始まる。 |
| 1986 |
(86) |
(株)エドウィン商事が発行済み株式を全て取得し、Leeブランドの国内生産を開始。 |